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世紀末を恐れる世情の期待にこたえるかたちで、1997年の年の瀬に始まった世界最高峰のカバーイベントがKOGA COVER NIGHTである。
このKOGA COVER NIGHTを紐解くにあたり見落としてはいけない事実として、KOGA PRESENTS POP'70 というタイトルで、西船ベイシティーローラーズ、殿様キンクス、下北スミスというラインナップが1996年12月30日に行われている。このイベントをKOGA COVER NIGHT第1弾とするかは、音楽業界でも大きく意見が分かれ、各博識が過去の文献を元に議論を交わしているが、まだウィキペディアにものっていないのは歴史の皮肉というものであろう。
しかしデキシー・ド・ザエモンズが産み落としたこのカルチャーに全てのミュージシャンは、お金は払わなくてもいいが、多くの経緯を払わなければいけないことになっている。が、いまだ法制化はなされていない。

そして1997年KOGACISと中野メリーチェインを加えて、時代は大ききなうねりの中に飲み込まれていく。
KOGA COVER NIGHTの話題は日本中を席巻し、翌年98年には2デイズと巨大化していくことになる。
そこにはいまなお生存するロックンロールの伝導師、MENTAI RENDSがラインナップされている。
この事実が全てを物語っているだろう。歴史とはMENTAIであり文化はRENDSなのだ。しかもこの時期は皆若く有り余るエネルギーを抑えることもできずに、オールナイトDJパーティを併設していた。アベジュリーや新井仁がアナログを回していたのだ。

1999年、つまり20世紀の最後には今やロックレジェンドとも言えるPOLYSICSがGEKKAN DEVOとしてDEVOのカバーを披露し、来る21世紀に真っ先に到達した。スクービードゥーも3年B組岡八先生としてラインナップされているが、現在までにその内容を明らかにする資料は発見されていない。おそらく岡やんの悪戯に乗せられたスクービーがいたのであろう。岡やんが分からない人は、ネットで調べていただくしかないのがこの時代の世知辛いところだ。

その後は内海洋子、怒髪天やフラワーカンパニーズのメンバーの参加があり、毎暮れには爆笑と関心の爆弾を投下していた。

もっとも記憶にインプットされたのは増子直純、古市コータロー、ウエノコウジ、奥野真哉、高橋浩司でやった下北ボーイズと呼ばれたBOOWYのカバーバンドが挙げられるが、この金字塔を超えるべく毎年果敢にチャレンジしていくカバーズの姿は実に美しく、世の為人のために役立っていると言える。

このままずっと書いててもいいけど、きっといつまでたっても終わらないので、一旦ここで筆をおかせてもらうとしよう。​いやシャットダウンだ!!
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